政治

総理、逃げるんですか?」岸田総理を怒らせた“ルール違反の質問”と、その後の炎上を考える

「総理、逃げるんですか?」岸田総理を怒らせた“ルール違反の質問”と、その後の炎上を考える

週末はメディアもSNSも「ゼレンスキー」一色でしたね。ロシアに妨害される可能性が低い「フランス空軍の政府専用機」を使い、文字通り命がけの来日。到着しただけで衝撃を与えるゲストってなかなかいませんが、裏を返せばそれだけ厳しい状況下での来日だったということ。関係者の皆さん、本当にお疲れ様でした。

そんな最中もツイッターは平常運転でして……岸田総理のG7会見に絡む、ちょっとしたネット炎上が起きていました。一部報道もされましたが、総理の議長国記者会見が終了する際、あるメディアの記者が手を挙げ「1問だけでいい」からと、質問を要求したのです。

サミットのような大イベントの記者会見は、質問したい記者がハイハイハイと手を挙げると収拾つかなくなるので、事前にどの社が質問するか決めておきます。今回もあらかじめ決められた4社から質問があり、それでも10分延長して終了したんですが、そこで件の「1問だけでいい」が飛び出しました。

とは言え、記者の喰い下がりや突発質問は珍しくないですからね。進行役はスルー、岸田総理も「お疲れ様でした」と歩き始めたんですが、その時、その記者が総理の背中に向かって言い放ったのです。

「総理、逃げるんですか」

その瞬間の岸田さん、ありゃ相当怒ってたね。フミオ激おこ。後ろ姿で分かるレベルの「怒」。くるっと振り返るやいなや「答えようか」と一言、記者が質問した核軍縮への取組みについて説明。そして……ネットが炎上したのはその後でした。

あなたは逃げないでね

「逃げるんですか」発言をした記者が、自身のツイッターであれは自分だったと投稿したんですね。戻った岸田総理が話した内容が不満だった、「改めて質問した内容」に岸田氏は答えてくれなかった等々。もちろんその投稿はすぐに炎上しましたよ。批判で埋め尽くされ地獄のようなタイムラインに。まあそうなるよね。

批判の多くは「ルールを守れ」「ルール破りに対応してもらったのに、その態度は何だ」というもの。中には「あなたはこの批判コメントから逃げずに答えて下さいね」といった辛辣なモノも。その記者の「改めて質問した内容」が、質問と言うよりむしろ自分の意見表明に近いものだったこともあり、とにかくまあ見事なまでに燃え上がったのでした。

軍縮といった重いテーマですから、その記者さんもご自身の考えや気持ちがあったのでしょう。ただそれを伝える手段やタイミング、その後の投稿は良くなかった。ルールが設けられた場に参加するのならルールは守る。あと質問する相手への敬意も忘れずに。

核廃絶は目指すべき当然の目標ですが、「その前」に、今この瞬間も核兵器を抱えてテンパってるロシアみたいな国がいて、今後も同じような国が現れる可能性、特にアジアにおいてその可能性は非常に高い状況にあります。

まずは「核を使えない仕組み」、発射ボタンなんて怖くて押せなくなる、世界規模の仕掛けが必要では、と思います。だってテンパリ国家は絶対に核兵器を手放しませんから。

順番を間違えるとテンパリ国家だけが核兵器を保持する、地獄みたいな地球が爆誕してしまう。だから核廃絶はプロセスが非常に重要なのです。

事故

「空白の40分」の謎》防衛省内部資料『報告』から浮かび上がる、陸自ヘリ事故“当日の混乱”

 

UH-60JAヘリコプター Ⓒ時事通信社

浮かび上がる“異質”な部分

「ナハタワー、デスイズ、UH、106(ワンゼロシックス)、リクエスト、テイクオフ」

 陸上自衛隊陸自)「第8師団」に属する「UH-60JA」ヘリコプター――無線コールサイン《106号》が、沖縄県那覇空港管制官に離陸(テイクオフ)の許可を求めた。

 間もなくして認められた《106号》が、宮古島を目指して那覇空港を飛び立った。その日時は、

 4月6日木曜日

〈1253〉(筆者註・午後12時53分。以下同)

 この日時は、防衛省が当時、メディアへ行った広報にはない。第8師団の上級部隊である「西部方面隊」を通じて、「東京の防衛省が受けた口頭による逐一の報告」(以下、『報告』)の中に記録されていた。

《106号》がレーダーから「ロスト」(消失)してから2週間後、複数の政府機関の関係者の話を総合して『報告』の中身を知ることとなった。

 その結果、『報告』に記されていたものは、これまで防衛省が発表してきたものとは、“異質”だった。

 例えば、《106号》がレーダーから消えた時刻について、防衛省がメディアへ発表したのは、

〈午後3時56分〉。

 だが『報告』では、

〈1640〉(同4時40分)

 と、40分以上も違っている。

 “異質”なのはそれだけではない。《106号》がレーダーから消えた「場所」についても、メディアに発表された内容と、『報告』の内容とはまったく違っていた。

 しかも《106号》が“事故である”と防衛省が正式に発表するまでの約7時間の間にも、幾つかの“異質”な部分が存在する。

 なぜそれら“異質”なことが発生したのか、その「謎」を追ってみた。

“将来の戦場”の最前線を視察

 沖縄本島を後にした《106号》を操縦する飛行班長(3等陸佐)は、天候に恵まれたことで爽快な気分のまま東シナ海を一路、南へ向かったことが容易にイメージできる。

 しかし同時に、高い緊張感が全身に満ちあふれていたことも想像に難くない。

 何しろヘリコプターのキャビンに座る搭乗者(とうじょうしゃ)というのが、約5000名もの隊員を率いる「第8師団長」の坂本雄一(さかもとゆういち)陸将ほか、師団ナンバー3にして師団長の“右腕”たる「幕僚長(ばくりょうちょう)」の1等陸佐、作戦全般を作成する「3(さん)部長」(1等陸佐)、インテリジェンスなどの情報分析責任者「2(に)部長」(2等陸佐)、そして詳細な作戦立案を行うため一番忙しく精力的に働く「防衛班長」(3等陸佐)という、紛れもなく第8師団の“心臓部”そのものであったからだ。

《106号》の搭乗者たちは、那覇を発ってから1時間24分後、コーラルブルーの海とバリアリーフに囲まれた宮古島と隣接し、宮古島市に含まれる五つの島々(大神〔おおがみ〕島、池間島〔いけまじま〕、伊良部島〔いらぶじま〕、下地島〔しもじしま〕、来間〔くりま〕島)が目に飛び込んできたはずだ。

 宮古島のほぼ中央に位置する「航空自衛隊宮古島分屯基地(ぶんとんきち)のヘリポートに、《106号》が着陸した時刻は『報告』によれば、

〈1417〉(2時17分)

 出迎えたのは、陸上自衛隊宮古警備隊」の隊長、伊與田雅一(いよだまさかず)1等陸佐だった。

 宮古警備隊は、台湾クライシスが高まる中、2019年に、那覇に駐屯する第15旅団の隷下部隊として創隊した。その任務は、台湾への侵攻を行うのに乗じて宮古列島宮古島市内の島々を含む)の八つの島々を攻撃する可能性がある中国・人民解放軍の水上艦艇と航空機を撃滅するための、第302地対艦ミサイル中隊と第346高射中隊の警備を行う最前線部隊である。

 分屯基地に到着した坂本師団長は、すぐに私服に着替え、地元の支援者たちとの懇談に臨んだ。

 西部方面隊関係者は、宮古島の一部で、陸自部隊が駐屯することへの反発が依然としてあることから、宮古島を衛(まも)るための防御と攻撃の作戦を行う上では地元の理解がなにより重要だと、彼は師団長に着任する直前に言っていた――と語った上でこう付け加えた。

宮古島には陸自の『宮古島駐屯地』があるがそこへ《106号》を着陸させなかったのも地元感情を忖度したからだろう」

 そして、4時間の飛行が可能な航空燃料の補給を受けた《106号》のキャビンに、再び坂本師団長以下の“師団の心臓部”である面々の他、伊與田隊長に加え、《106号》の2名の「FE」(航空機関士)の若い隊員なども乗せて宮古島分屯基地を出発した。

 その時間は『報告』によれば、

〈1546〉(3時46分)

 気温は摂氏25.4℃、天候は晴れ―まさに“自衛隊日(び)より”だった。

 

空白の40分の謎

 宮古島の「東海岸線」を北上した《106号》は、左図のとおり、全長1425メートルもある大きな橋で陸続きとなっている池間島をさらに北へ向かった。

 同3時54分、池間島の最北端の先の海上で西へ進路を変え、今度は一転、南下した直後、宮古空港管制官との通信を行った。その通信には、防衛省の発表どおり、「ロスト」を予見されるものはなかったことが同じく『報告』にも存在した。

 

《106号》が池間島の北端に達したのは、離陸してから7分後、『報告』では、

〈1553〉(3時53分)

 そして、《106号》のコックピット右席に座る機長が、略称「D-NET」、正式名「災害救援航空機情報共有ネットワーク」とリンクするスイッチを稼働。そして機長もしくは左側に座る副操縦士は「1546、宮古、離陸」と入力するのと同時に、通過した座標「北緯245706、東経1251444」(筆者註・池間島北側の海上)を打ち込んだと『報告』にある。

 D-NETとは、宇宙空間に数々のミサイルを打ち上げているJAXA宇宙航空研究開発機構)が運営する、ヘリコプターなど航空機の危機管理情報を共有するシステムだ。

 最近では、自衛隊も、飛行機の混雑によって事故を発生させないために、離陸したならば、このシステムにチェックインして飛行するポイントごとの座標を入力するケースが多くなっている。

 次に『報告』に登場するのは、

〈1628〉(4時28分)

 SNSアプリで、自衛隊側から《106号》の副操縦士へ通話通信を試みたというものだ。その結果は「応答せず」と『報告』にある。

 SNS通話発信を行った後で『報告』に登場する記録は、

〈1633〉(4時33分)

《106号》が分屯基地と交信を行ったというものだ。

 しかも、その後、

〈1640〉(4時40分)

 この時刻になって初めて、分屯基地のレーダーから「ロスト」したとの記録が『報告』に出てくる。

 だが、防衛省が発表している「ロスト」時間は、

「3時56分」

『報告』と40分以上も違う。

 敢えて言うならば「空白の40分」である。

『報告』には発表とは“異質”な内容がまだ続く。

〈1640〉(4時40分)

 陸自側は、「航空救難」を関係機関に最初に流した。

 それを受けて航空自衛隊那覇救難隊が救難機スコットを「ロスト」地点との情報を受けた座標へ向けて緊急離陸させるとともに、

〈1653〉(4時53分)

 第8師団司令部に電話を入れ、《106号》の飛行状況の詳細を求めていた。

 さらにその4分後、

〈1657〉(4時57分)

 西部方面隊司令部から分屯基地に《106号》の状況を確認している。

 その時の分屯基地の反応が『報告』にある。

「現在のところ、《106号》の着陸を確認しておりません」

 さらに『報告』にはこうある。

〈1702〉(5時2分)

 自衛隊側は初めて、国土交通省が管轄する宮古空港管理事務所へ《106号》について把握していることはないか、と照会した。

 さらに、

〈1706〉(5時6分)

 分屯基地は、《106号》と連絡がとれていないことを西部方面隊に伝えていた。つまり、この段階に至ってもまだ、事態を把握していないような雰囲気なのだ。

 

大混乱を疑う記録

 そしてそれからさらに1時間半ほどした、

〈1822〉(6時22分)

 陸上自衛隊の“本部”とも言うべき、東京の陸上幕僚監部(陸幕)に公式に「第一報報告」を行っている。

 これらの『報告』から推測されることは、自衛隊は、〈1822〉の「第一報報告」まで、「大混乱」に陥っていた可能性だ。

 それを疑うのは、当初の『報告』にあった「消失」の時間である、

〈1640〉

 が、さらにその後、

〈1633〉(4時33分)

 と訂正されてからまたしても、やっとメディアに広報されたのと同じ、

〈1556〉(3時56分)

 と再度の訂正がなされている。

 しかも防衛省が「ロスト」した時刻と発表している時間から30分以上も経過した時点での『報告』にある、

〈1628〉

 にSNSの通信通話の発信を《106号》に試みていることは、余りにも不可解なことだ。

 これら数々の“異質”なことから導かれる「推察」は、自衛隊側は、《106号》が、行方不明になった事実を、〈1822〉の「第一報報告」まで把握できなかったのではないか、ということである。つまり、「ロスト」から約2時間半もの間、中国からの防衛の最前線の「センサー」たる宮古島分屯基地が茫然自失状態になっていたのではないかという疑いだ。

 最も奇妙なのは、関係機関への通報が、防衛省発表の「ロスト」時間から3時間以上も経過した19時10分を過ぎて行われていると、『報告』にあることだ。

 いったいどういうことが起これば、このような事態に陥るのか――大きな「謎」だ。

(筆者註・肩書きは「ロスト」の時点。事実関係は4月25日現在のものである)

陸自ヘリは中国に撃墜されたか 」全文は、月刊「文藝春秋」2023年6月号と、「文藝春秋 電子版」に掲載されています。

(麻生 幾/文藝春秋 2023年6月号)

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大谷翔平

エンゼルス逆転勝ちで5カードぶり勝ち越し 大谷翔平6回2安打1失点9Kも6勝目はお預け、1安打1四球

大谷翔平投手(ロイター)

◆米大リーグ エンゼルス4―2ツインズ(21日・アナハイムエンゼルスタジアム

 エンゼルス大谷翔平投手(28)が21日(日本時間22日)、本拠地・ツインズ戦に「3番・投手、指名打者」でフル出場。投げては6回99球で、2安打1失点、9奪三振と好投を見せたが同点で降板したため6勝目はお預けとなり、打っては3打数1安打、1四球だった。チームは7回に勝ち越して逆転勝ちし、25勝23敗の貯金2。ツインズ3連戦は2勝1敗で、2~4日の敵地・カージナルス戦で3連勝して以来、5カードぶりの勝ち越しとなった。

 2連勝での6勝目を狙ったマウンド。1、2回はともに先頭に四球を与えるなどやや制球に苦しんだが、後続を打ち取って得点はあたえなかった。だが、両軍無得点の3回に、2死から1番・ギャロに四球を与えると、続くコレアに右中間への適時二塁打を浴びて先取点を献上。この試合初めて浴びた安打で1点を失った。それでも4回はこの試合初の3者凡退。追いついた5回は先頭に安打を浴びるも、三併打でチャンスの芽を摘んだ。5回2死からは圧巻の4者連続奪三振。5登板ぶりに本塁打も浴びず、マウンドを降りた。

 打席では、初回1死一塁の1打席目に中前安打。内角96・2マイル(約154・8キロ)直球に詰まらされながらも中前に落として2試合連続安打をマークしたが、得点にはつながらなかった。1点を追う3回2死一塁の2打席目は、強烈な打球をはじき返したが、一ゴロ。同点の5回2死二塁の3打席目は今季2つ目の申告敬遠で出塁し、本拠地のファンからツインズへ大ブーイングが巻き起こった。

 エンゼルスは1―1で同点の7回無死二、三塁でモニアクが右中間への2点適時二塁打で勝ち越し。7回1死三塁の好機で大谷は4打席目に立ったが、二ゴロに倒れて追加点はならなかった。8回には元ソフトバンクの4番手左腕・ムーアがソロを浴びて1点差に迫られるも、直後にタイスの適時二塁打でさらに1点を追加。9回はエステベスが締めくくって逃げ切った。

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侵攻「政治より人道問題」 印首相、ゼレンスキー氏に

握手するインドのモディ首相(左)とウクライナのゼレンスキー大統領=20日午後、広島市(同大統領府提供)

ニューデリー共同】ウクライナのゼレンスキー大統領とインドのモディ首相は20日、G7広島サミットのため訪問中の広島で会談した。モディ氏は冒頭、ロシアのウクライナ侵攻について「政治や経済ではなく人道に関わる問題だと受け止めている」とした上で、解決に向けて「できる限り手を尽くしたい」と表明した。両首脳の対面での会談は侵攻後初めて。

 モディ氏は「ウクライナの人々の痛みを理解している」とも語った。

 インドは今年、G20の議長国で、G7議長国の日本と連携を強化する一方、ロシアは武器の供給を受ける友好国のため、モディ氏はロシアに侵攻の早期終結を促しながらも直接批判は避けている。

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「日本を滅ぼしたいのか?」少子化財源年3兆円「医療保険料上乗せ」案に悲鳴殺到「逆に少子化加速する」

「日本を滅ぼしたいのか?」少子化財源年3兆円「医療保険料上乗せ」案に悲鳴殺到「逆に少子化加速する」

5月19日、岸田文雄首相が掲げる「異次元の少子化対策」をめぐって、政府が年間3兆円規模の追加財源確保を想定していることが報じられた。

2024~2026年度の3年間を子ども・子育て支援の集中期間とし、対策の充実にともなって段階的に財源を拡充する。最終年度に年間3兆円規模の追加財源が必要と見込んでいるという。時事通信などが報じた。

政府は3月末、少子化対策の試案を公表。児童手当の所得制限撤廃や対象年齢引き上げ、多子世帯への加算などが盛り込まれている。

財源に関しては、社会保障を中心とした歳出削減を徹底する。そのうえで、足りない分については、国民に広く負担を求めるため、若年層から高齢者まで幅広い世代が保険料を出す公的医療保険に上乗せ徴収する案が有力という。児童手当や保育所運営のために企業が負担している「事業主拠出金」の増額も検討。財源を確保するまでの間は、国債発行で対応する案も浮上している。

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インド首相、ゼレンスキー氏と会談模索=グローバルサウスの代表格―報道

インドのモディ首相=4月29日、南部ベンガルール(EPA時事)

 【ニューデリー時事】インドの複数のメディアは19日、モディ首相が先進7カ国首脳会議(G7広島サミット)の開催期間中、ウクライナのゼレンスキー大統領と個別会談を模索していると報じた。会談が実現すれば、ロシアによるウクライナ侵攻後初めてとなる。

 インドはサミット招待国の一つ。ウクライナにとっては、G7主導の対ロシア制裁に加わっていないインドに対し、自国の正当性を直接訴える機会となる。インドを代表格とし、G7やロシア・中国の双方と距離を置く新興・途上国「グローバルサウス」との連携を示す上でも象徴的な意味を持つとみられる。 

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事件

歌舞伎ファン衝撃…市川猿之助さん自宅で倒れ緊急搬送 死亡した段四郎夫妻は布団がかかった状態 週刊誌記事の掲載当日に

歌舞伎ファン衝撃…市川猿之助さん自宅で倒れ緊急搬送 死亡した段四郎夫妻は布団がかかった状態 週刊誌記事の掲載当日に

マネージャーが倒れている3人を発見

自宅で両親と倒れているのが見つかった歌舞伎俳優の市川猿之助さん(47)。両親は布団がかかった状態で見つかり死亡が確認された。

警察に通報が入ったのは5月18日午前10時16分のことだった。

通報内容

猿之助さんを迎えに来たら意識がもうろうとしている

東京・目黒区にある歌舞伎俳優の市川猿之助さんの自宅を訪ねたマネージャーが、猿之助さんと両親の3人が倒れているのを見つけた。

猿之助さんは地下の自室で倒れていて、そばには遺書のような書き置きが見つかった。

両親は2階のリビングの床にあお向けで布団がかかった状態で倒れていて、母親(75)はその場で死亡が確認された。

父親で歌舞伎俳優の市川段四郎さん(76)は意識不明で見つかり、病院に搬送されたが、その後死亡が確認された。

近くに住む人は猿之助さんと父親が搬送される様子を目撃したという。

近くの住民A

救急車が4台くらい来て、(父親は)ほとんど意識がない状態で(酸素)マスクしてね。その後に猿之助さんが運ばれていって(酸素)マスクしていた

近くの住民B

本当にここに昔から住んでいらっしゃるので、まだ今のように猿之助さんが有名になられる前に、ここら辺の地域で子供同士で行ったり来たり、そういうことがあったことは記憶しています。昔からのお付き合いでしたので、本当に無事にお帰りになればいいなと思っています

意識がもうろうとした状態で病院に搬送された猿之助さんは、命に別条ないものの、現在受け答えができる状態ではないという。

 

ショック受ける歌舞伎ファン

歌舞伎界屈指の人気俳優の緊急搬送。

東京・中央区明治座では5月から市川猿之助さんが自ら座長を務める公演を行っていたが、18日午前11時半から予定されていた昼の部は中止となった。

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