相撲

「カッコイイ…なんて名前の力士ですかね?」“伝説の横綱千代の富士…関係者たちが証言する「筋肉が硬すぎて、手術のメスが入らなかった」

昨年ツイッターで拡散された2枚のうちの1つ。1983年の九州場所(11月場所)での千代の富士

<令和の世にSNSで突如拡散された力士の写真。それは鋼の筋肉をまとった昭和の大横綱だった。力士離れした肉体美はどのように作られたのか。優勝31回を成し遂げた“ウルフ”の身体に迫った。>

 千代の富士の七回忌を控えた2022年の春。SNS上で、懐かしい写真が目に飛び込んできた。「カッコイイと思って思わず保存したけど、なんて言う名前の力士なんですかね?」。平成生まれの若い女性が問いかけた投稿が拡散されていたのだ。第58代横綱に昇進して3年目、9度目の優勝を果たす1983年九州場所中に撮影された姿だった。彼女はその力士が筋肉の鎧をまとった小さな大横綱とは知らぬまま、古代彫刻の如き肉体に魅了されたのだろう。

 令和になってもなお耳目を集める昭和の大横綱の肉体は、いったいどのような環境から生まれ出て、そこまで極められたのだろうか。

「筋肉が硬すぎたのか、メスが入らなかった」

 千代の富士のルーツは、北海道の南端に位置する松前郡福島町にある。かつて「横綱千代の山千代の富士記念館」副館長を務めた2歳年上の姉、小笠原佐登子が、今は亡き弟を偲びながら語る。

「父は漁師で、仕事柄鍛えられてはいたと思いますけれど、特に筋肉質というほどでは……。両親ともに骨太ではありましたかねぇ」

 肉体を形成する3要素は“栄養・運動・休息”だとされる。土地柄もあり「当時の食卓にはホッケや鮭など魚類が多く上っていた」と姉はいう。

「弟は背は小さくなくて、同級生より頭ひとつくらい大きかったんですよ。夏は朝から晩まで海で泳いでいました。潜ってウニやアワビを獲り、空地で焼いて食べてね。とにかくスポーツは万能。バスケットをやっていたんですが、陸上大会にも駆り出されて、それなりの成績を収めていました」

 中学時代、走り高跳び1m62、三段跳びは12m58という記録が残っている。学校から帰れば、家業の手伝いも厭わない精悍な少年だった。

「父がイカ釣りの大きな船で漁に出た時は、弟が小さな磯舟を200mほど漕いで船に近づいて、イカの入った網袋を下ろすんです」

 波に揺れる磯舟に立ち、おのずと足腰はバランスを取り、強靭になる。数十kgもある網袋を担ぎ上げ、腕力と腹筋も鍛えられた。中学1年次に盲腸の手術を受けた弟のことを姉は覚えている。

「お腹に筋肉がついて硬すぎたのか、なかなかメスが入らずに時間が掛かり、麻酔が切れ始めたなかで手術を受けることになった――なんて話でしたね。担当医の先生が弟の我慢強さとその体に驚いて、先生のご縁で当時の師匠(元横綱千代の山)にスカウトされた、と聞きました」

 類まれな筋肉と根性を備えた少年は、この時見いだされ、1970年、15歳で角界の門を叩く。

 

腕立て伏せ1日500回

千代の富士さんはボディビルの世界大会でも優勝できたのではないですかね。肩の三角筋の厚みと上腕二頭筋が素晴らしい。立ち合いで当たった時に『バン!』と一気に相手の懐に入っていく肩の三角筋に、腕を差し込んで廻しを掴む上腕二頭筋が連動し、さらに生きるんです」

 そう語るのは、日本ボディビル界の先駆者で、相撲の街・両国の隣町に創設したジムで多くの力士を指導してきた遠藤光男だ。

 千代の富士は幕下だった73年の春場所中に初めて左肩を脱臼し、一説によるとこの時の応急処置が尾を引き、脱臼が癖になったという。引退までに公式記録に残るだけでも7回。大きな悩みの種となった。

 西前頭八枚目で迎えた79年春場所中には、さらに右肩も脱臼する。番付降下を考慮して手術を回避し、「肩の周りに丈夫な筋肉の鎧を付けてしまうのが一番いい」との主治医の判断に従った。「肩だけではなく全身の筋肉強化に努めなくては効果が薄い」と聞き、三角布で腕を吊ったままでの自転車こぎ、階段の昇降、回復度に応じて鉄アレイやダンベルを使ったトレーニングを試みた。なかでも腕立て伏せに重点を置き、50回×10セットの1日500回をノルマとした。右肩脱臼の療養中、わずか40日間で体重は6kg増え、初めて3桁の大台に乗る。体重計の針が103kgを指した瞬間には思わず喜びの声を挙げたという。

 

“食っちゃ寝”しても体重が増えなかった

 そんな千代の富士に、遠藤はより効果的な方法を伝授した。床に掌を置いての腕立て伏せではなく、自らが考案した木製器具を勧めたのだという。現在のプッシュアップバーの原型となるものだ。

「コの字型で、ドアの取っ手の大きいようなものです。これは置き方で手幅も角度も自在に調整でき、肩もより深く入る。握る部分の太さによって握力強化にもなる。腕を絞って脇を締めての腕立て伏せで、肩の筋肉と靭帯を鍛えられます」

 指導を仰ぎにきた千代の富士はまだ平幕力士で、ひょろっとした印象だったと遠藤は記憶を辿る。

「生まれつき筋肉質で脂肪が少ない。体重増加のためには筋肉量を増やすしかなかった。他の力士のように“食っちゃ寝”しても体重は増えず、むしろ筋肉が衰えて体が小さくなってしまう」

 それから2年が過ぎ、横綱に上がる頃には筋肉の鎧は120kg台まで厚みを増していた。

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