事故

「空白の40分」の謎》防衛省内部資料『報告』から浮かび上がる、陸自ヘリ事故“当日の混乱”

 

UH-60JAヘリコプター Ⓒ時事通信社

浮かび上がる“異質”な部分

「ナハタワー、デスイズ、UH、106(ワンゼロシックス)、リクエスト、テイクオフ」

 陸上自衛隊陸自)「第8師団」に属する「UH-60JA」ヘリコプター――無線コールサイン《106号》が、沖縄県那覇空港管制官に離陸(テイクオフ)の許可を求めた。

 間もなくして認められた《106号》が、宮古島を目指して那覇空港を飛び立った。その日時は、

 4月6日木曜日

〈1253〉(筆者註・午後12時53分。以下同)

 この日時は、防衛省が当時、メディアへ行った広報にはない。第8師団の上級部隊である「西部方面隊」を通じて、「東京の防衛省が受けた口頭による逐一の報告」(以下、『報告』)の中に記録されていた。

《106号》がレーダーから「ロスト」(消失)してから2週間後、複数の政府機関の関係者の話を総合して『報告』の中身を知ることとなった。

 その結果、『報告』に記されていたものは、これまで防衛省が発表してきたものとは、“異質”だった。

 例えば、《106号》がレーダーから消えた時刻について、防衛省がメディアへ発表したのは、

〈午後3時56分〉。

 だが『報告』では、

〈1640〉(同4時40分)

 と、40分以上も違っている。

 “異質”なのはそれだけではない。《106号》がレーダーから消えた「場所」についても、メディアに発表された内容と、『報告』の内容とはまったく違っていた。

 しかも《106号》が“事故である”と防衛省が正式に発表するまでの約7時間の間にも、幾つかの“異質”な部分が存在する。

 なぜそれら“異質”なことが発生したのか、その「謎」を追ってみた。

“将来の戦場”の最前線を視察

 沖縄本島を後にした《106号》を操縦する飛行班長(3等陸佐)は、天候に恵まれたことで爽快な気分のまま東シナ海を一路、南へ向かったことが容易にイメージできる。

 しかし同時に、高い緊張感が全身に満ちあふれていたことも想像に難くない。

 何しろヘリコプターのキャビンに座る搭乗者(とうじょうしゃ)というのが、約5000名もの隊員を率いる「第8師団長」の坂本雄一(さかもとゆういち)陸将ほか、師団ナンバー3にして師団長の“右腕”たる「幕僚長(ばくりょうちょう)」の1等陸佐、作戦全般を作成する「3(さん)部長」(1等陸佐)、インテリジェンスなどの情報分析責任者「2(に)部長」(2等陸佐)、そして詳細な作戦立案を行うため一番忙しく精力的に働く「防衛班長」(3等陸佐)という、紛れもなく第8師団の“心臓部”そのものであったからだ。

《106号》の搭乗者たちは、那覇を発ってから1時間24分後、コーラルブルーの海とバリアリーフに囲まれた宮古島と隣接し、宮古島市に含まれる五つの島々(大神〔おおがみ〕島、池間島〔いけまじま〕、伊良部島〔いらぶじま〕、下地島〔しもじしま〕、来間〔くりま〕島)が目に飛び込んできたはずだ。

 宮古島のほぼ中央に位置する「航空自衛隊宮古島分屯基地(ぶんとんきち)のヘリポートに、《106号》が着陸した時刻は『報告』によれば、

〈1417〉(2時17分)

 出迎えたのは、陸上自衛隊宮古警備隊」の隊長、伊與田雅一(いよだまさかず)1等陸佐だった。

 宮古警備隊は、台湾クライシスが高まる中、2019年に、那覇に駐屯する第15旅団の隷下部隊として創隊した。その任務は、台湾への侵攻を行うのに乗じて宮古列島宮古島市内の島々を含む)の八つの島々を攻撃する可能性がある中国・人民解放軍の水上艦艇と航空機を撃滅するための、第302地対艦ミサイル中隊と第346高射中隊の警備を行う最前線部隊である。

 分屯基地に到着した坂本師団長は、すぐに私服に着替え、地元の支援者たちとの懇談に臨んだ。

 西部方面隊関係者は、宮古島の一部で、陸自部隊が駐屯することへの反発が依然としてあることから、宮古島を衛(まも)るための防御と攻撃の作戦を行う上では地元の理解がなにより重要だと、彼は師団長に着任する直前に言っていた――と語った上でこう付け加えた。

宮古島には陸自の『宮古島駐屯地』があるがそこへ《106号》を着陸させなかったのも地元感情を忖度したからだろう」

 そして、4時間の飛行が可能な航空燃料の補給を受けた《106号》のキャビンに、再び坂本師団長以下の“師団の心臓部”である面々の他、伊與田隊長に加え、《106号》の2名の「FE」(航空機関士)の若い隊員なども乗せて宮古島分屯基地を出発した。

 その時間は『報告』によれば、

〈1546〉(3時46分)

 気温は摂氏25.4℃、天候は晴れ―まさに“自衛隊日(び)より”だった。

 

空白の40分の謎

 宮古島の「東海岸線」を北上した《106号》は、左図のとおり、全長1425メートルもある大きな橋で陸続きとなっている池間島をさらに北へ向かった。

 同3時54分、池間島の最北端の先の海上で西へ進路を変え、今度は一転、南下した直後、宮古空港管制官との通信を行った。その通信には、防衛省の発表どおり、「ロスト」を予見されるものはなかったことが同じく『報告』にも存在した。

 

《106号》が池間島の北端に達したのは、離陸してから7分後、『報告』では、

〈1553〉(3時53分)

 そして、《106号》のコックピット右席に座る機長が、略称「D-NET」、正式名「災害救援航空機情報共有ネットワーク」とリンクするスイッチを稼働。そして機長もしくは左側に座る副操縦士は「1546、宮古、離陸」と入力するのと同時に、通過した座標「北緯245706、東経1251444」(筆者註・池間島北側の海上)を打ち込んだと『報告』にある。

 D-NETとは、宇宙空間に数々のミサイルを打ち上げているJAXA宇宙航空研究開発機構)が運営する、ヘリコプターなど航空機の危機管理情報を共有するシステムだ。

 最近では、自衛隊も、飛行機の混雑によって事故を発生させないために、離陸したならば、このシステムにチェックインして飛行するポイントごとの座標を入力するケースが多くなっている。

 次に『報告』に登場するのは、

〈1628〉(4時28分)

 SNSアプリで、自衛隊側から《106号》の副操縦士へ通話通信を試みたというものだ。その結果は「応答せず」と『報告』にある。

 SNS通話発信を行った後で『報告』に登場する記録は、

〈1633〉(4時33分)

《106号》が分屯基地と交信を行ったというものだ。

 しかも、その後、

〈1640〉(4時40分)

 この時刻になって初めて、分屯基地のレーダーから「ロスト」したとの記録が『報告』に出てくる。

 だが、防衛省が発表している「ロスト」時間は、

「3時56分」

『報告』と40分以上も違う。

 敢えて言うならば「空白の40分」である。

『報告』には発表とは“異質”な内容がまだ続く。

〈1640〉(4時40分)

 陸自側は、「航空救難」を関係機関に最初に流した。

 それを受けて航空自衛隊那覇救難隊が救難機スコットを「ロスト」地点との情報を受けた座標へ向けて緊急離陸させるとともに、

〈1653〉(4時53分)

 第8師団司令部に電話を入れ、《106号》の飛行状況の詳細を求めていた。

 さらにその4分後、

〈1657〉(4時57分)

 西部方面隊司令部から分屯基地に《106号》の状況を確認している。

 その時の分屯基地の反応が『報告』にある。

「現在のところ、《106号》の着陸を確認しておりません」

 さらに『報告』にはこうある。

〈1702〉(5時2分)

 自衛隊側は初めて、国土交通省が管轄する宮古空港管理事務所へ《106号》について把握していることはないか、と照会した。

 さらに、

〈1706〉(5時6分)

 分屯基地は、《106号》と連絡がとれていないことを西部方面隊に伝えていた。つまり、この段階に至ってもまだ、事態を把握していないような雰囲気なのだ。

 

大混乱を疑う記録

 そしてそれからさらに1時間半ほどした、

〈1822〉(6時22分)

 陸上自衛隊の“本部”とも言うべき、東京の陸上幕僚監部(陸幕)に公式に「第一報報告」を行っている。

 これらの『報告』から推測されることは、自衛隊は、〈1822〉の「第一報報告」まで、「大混乱」に陥っていた可能性だ。

 それを疑うのは、当初の『報告』にあった「消失」の時間である、

〈1640〉

 が、さらにその後、

〈1633〉(4時33分)

 と訂正されてからまたしても、やっとメディアに広報されたのと同じ、

〈1556〉(3時56分)

 と再度の訂正がなされている。

 しかも防衛省が「ロスト」した時刻と発表している時間から30分以上も経過した時点での『報告』にある、

〈1628〉

 にSNSの通信通話の発信を《106号》に試みていることは、余りにも不可解なことだ。

 これら数々の“異質”なことから導かれる「推察」は、自衛隊側は、《106号》が、行方不明になった事実を、〈1822〉の「第一報報告」まで把握できなかったのではないか、ということである。つまり、「ロスト」から約2時間半もの間、中国からの防衛の最前線の「センサー」たる宮古島分屯基地が茫然自失状態になっていたのではないかという疑いだ。

 最も奇妙なのは、関係機関への通報が、防衛省発表の「ロスト」時間から3時間以上も経過した19時10分を過ぎて行われていると、『報告』にあることだ。

 いったいどういうことが起これば、このような事態に陥るのか――大きな「謎」だ。

(筆者註・肩書きは「ロスト」の時点。事実関係は4月25日現在のものである)

陸自ヘリは中国に撃墜されたか 」全文は、月刊「文藝春秋」2023年6月号と、「文藝春秋 電子版」に掲載されています。

(麻生 幾/文藝春秋 2023年6月号)

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